公務員のマジメな父と底抜けに明るい母のもと、八王子市の高尾山近くで生まれ育ちました。小学校の6年間、マラソン大会ではずっと1位、幼稚園から高校までの13年間、守備の要のセンターバックとしてサッカーに打ち込みました。弱小クラブでキャプテンも務め、試合に負けては自分を責めて泣いていた記憶があります。
高校卒業後、1年間の浪人を経て入学した早稲田大学で探検部へ入部。この出会いこそが、僕の人生を決定づけました。
入学式で手渡された山のような新入生勧誘チラシの中にあった、「世界の可能性を拓け!」と書かれた1枚がふと目に留まり、伝統ある早大探検部へ飛び込み、幹事長を務めるまでになったわけですが、ホテルの宴会場や引っ越しのバイトの他、地下鉄のトンネルが歪んでいないかを調査する深夜バイトなどに精を出し、探検資金を貯めては国内外の秘境に繰り出す学生生活でした。
「インドネシア新洞窟調査」では、地図上に載っていない新たな洞窟をセラム島に「発見」しに行き、100mの縦穴をロープ1本で降下中にアタッチメントが外れたことも。「あと2cmずれていたら100m落ちていた」と言われたときは、さすがに冷や汗をかきました。「ラオス・バンコクツーリング」では、15日間でラオスとタイの首都間を自転車で走破。
「ナイル河最長源流調査」では、イギリス隊が既に見つけていた公式認定の源流最長ポイントを疑い、自分たちで新たに真のナイル河源流を発見する探索へ出かけました。
事前にルワンダ政府と交渉して許可を得ていたにも関わらず、なぜか直前でNGとなり、何度も交渉を重ねることに。直接的な源流付近での探検は最後まで認められなかったものの、現地調査において今の源流箇所は最長ポイントではないとの確証を得ており、いつかまたナイル河の源流を探しに行きたいと密かに誓っています。
世界には、様々な立場や境遇の人がいます。食うや食わずの生活を強いられている人たち、学校に通えない子どもたち、最低限の文化的な生活が保障されていない国々も少なくありません。
そして、社会の環境を整え、暮らしをより良くしていくのに大きいのは、政治の役割です。子どもが野山を走り回り、親が子どもに微笑みかける光景は同じでも、生まれた国、生活する場所が違うだけで、人生の何もかもが変わってしまう。それに対して、自らはあまりにも無力です。
とはいえ、それに絶望して生きるか、目の前のひとつひとつの課題に向き合って解決を図るか、自らの選択する道は明白です。
世の中の理不尽と戦い、おかしなことにおかしいと声をあげていく、この政治姿勢を自らの信条として、日本が、世界が少しでも良くなるために、僕ができることをひとつひとつ全力で取り組んで行く覚悟です。どうかご指導ください。